人間は万物の霊長か?

人間は万物の霊長か?

 

2つの原体験

 わたしは10歳のとき、ある日突然、あることをきっかけに、「なぜ、この世の中には貧しい人びとがいるのだろうか。こんな世の中は絶対に間違っている」という思いに強く打たれました。そして、14歳のときに修学旅行で、広島の原爆記念館を見学しました。そこに展示してある数々のものを見ている間ずっと、体が震えてしかたがありませんでした。それは恐怖や怒りではなく、ただただ、「人間はなんて馬鹿なんだ。こんな世の中は絶対に間違っている」という強い思いだけでした。

 

 この二つの原体験の記憶は、その後もずっとわたしのこころの奥にあり続けました。そして、22歳のとき、この提唱の原案者である和田重正氏の「みんなで国に理想を」という小冊子に出会いました。それを読んで、「これこそ、人びとが幸せになり、それぞれの国も、世界も救われる確かな道だ」と確信しました。こどものときから、ずっと持ち続けていた疑問に対する答えが見つかったのです。本当にこころの底から感動しました。

 

 そして、この考えを世界中の人びとに伝えていくことが、自分の使命だと思ったのです。それが、約40年の思索と実践を経て、『国の理想と憲法――国際環境平和国家への道』、そして、その英語版の『BEYOND NATIONAL EGOISM(国家エゴイズムを超えて)』として結実したというわけです。 

 

無限のいのちのリレーを経て

 140億年の宇宙の歴史の中で、この地球上に35億年前に最初の原始的単細胞生物が誕生し、そこから生物の進化の歴史が始まりました。その後も、次々に進化が起こり、さまざまな植物や動物が誕生しました。300万年ほど前に最初の人類である猿人が誕生し、人類進化の歴史が始まりました。そして、4万年ほど前に、現生人類が生まれ、今日のわたしたち=現代人に至っています。

 

 35億年前に地球に誕生した最初の生物から、今日のわたしたち一人ひとりに至るまで、無限とも言える世代を経て、「いのち」が一つの世代から次の世代へとバトンのようにリレーされてきました。もし、「いのちの鎖」の輪の一つでも切れていれば、あなたも、わたしも、この世には存在していないということになります。そういう事実からも、一人一人、また、すべての生物の生命は、かえがいのないもの、と言うことができるでしょう。

 

 また、そういう意味で、わたしたち一人一人、そして、地球上のすべての生物は、生物の歴史の最先端に立っている、と言ってもよいのです。

よく、「人間は万物の霊長である」と言われます。人間は動物の中でもっとも優れた存在である、という意味なのでしょう。確かに、人間は他の動物にはない発達した大脳を駆使して、輝かしい科学技術文明と物質文明を発達させてきました。その結果、人類は他の動物を圧倒して、この地球上で繁栄を謳歌しています。

 

人間は狂ったサル?

 ところが、その人類が、少なくとも有史以来今日まで、絶えず同じ人類同士で大規模な殺戮を繰り返しています。そして、同じ人類同士で差別や虐待をしています。そして、いまや、自分たちの食べ物や飲み水に毒を入れ、吸う空気を汚染し、そして、自分たちの生きている世界そのものを、破壊しようとしています。このような世の中で、多くの人びとが個人的にも社会的にも、不安を抱え、苦しみながら生きています。こんな世の中は絶対に間違っています。これでは、とても「人類は万物の霊長である」とは言えません。では、人間は「狂ったサル」なのでしょうか。

 

必ず平和は実現できる

 本来、人間はそんなに愚かしく無力な存在なのでしょうか。わたしは、そうは思いません。人間は数々の過ちを犯し、自他を苦しめてきました。しかし、自分たちで犯した間違いは、必ず自分たちの力で解決できるはずです。わたしたちは、自分自身の心の幸福と安らぎを得ることは勿論、わたしたち人間自身によって、諸々の社会的問題を解決し、世界の平和と人類の幸福を必ず実現できるのです。

 

 今日までそれが実現しなかったのは、無関心と無知と、そして何よりも、諦めにあったのではないでしょうか。「必ず実現できる」という信念を持って、間違いの根本原因を究明すれば、必ず解決への道を見付けることができる、とわたしは確信しています。そのとき初めて、「人間は万物の霊長である」と呼ばれるにふさわしい存在になるのではないでしょうか。

 

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2009年5月30日土曜日