存在の真実について その1

存在の真実について その1 

 

バラバラ観は存在の真実か?

個人レベル、集団レベル、あるいは国家レベルを問わず、人間(人類)はいろいろな問題で悩み苦しんでいます。これらの諸問題の根源的原因は結局のところすべて、他の動物と異なって、人間のもつエゴイズムにあると言ってよいでしょう。ということは、もし、エゴイズムが人間の本質であるとすれば、それこそ、本質的に、人間の諸問題を解決することは不可能であるということになります。したがって、エゴイズムが人間の本質であるかどうか?ということは実に重大なテーマです。エゴイズムは「この世の中のそれぞれの存在はバラバラである」という「バラバラ観」から出てくる「自分さえよければ」という考え方、あるいは生き方です。 

 

「存在の真実」―人間

 では、バラバラ観は「存在の真実」なのでしょうか? まず、もっとも身近な存在として、人間の存在について考えてみましょう。一人一人の個人を考えてみても、人間の身体には60兆以上もの細胞があります。一個の細胞も調べてみると、遺伝子、細胞液、細胞膜などいろいろな要素によって構成されています。その細胞が集まって膜、血液その他の体液、筋肉などいろいろな組織が構成されています。さらに、それらの組織が集まって胃、腸、心臓、肝臓、腎臓目、鼻、口、血管、骨などの器官が構成されています。また、それらの器官が集まって頭部、首、胸部、腹部、手、足など身体の各部が構成され、さらに、それらの各部によって一個の人体が構成されています。

 

そして、人間の一個の存在は身体だけでなく感覚、知能、知識、思考、記憶、感情、心など各種の要素によって構成されています。つまり、一個の人間の存在は、細胞や組織、器官、各部、さらに、知能、記憶、感情、心などレベルの異なるいろいろな要素によって構成されています。しかも、それらの各要素は絶えず離散集合し、循環し、活動し、或いは停止したりしています。つまり、それら要素はお互いにバラバラな存在ではなく、密接な関係がある、繋がりがあるというレベルをはるかに超えた、切っても切れない間柄であり、互いに補い合い、助け合い、循環しながら一個の人間のいのちを維持存続させています。

 

 このように、一人の人間の存在は一つの小宇宙であり、「すべての細胞や組織や器官、さらに知能、記憶、感情、心などがお互いになくてはならない存在」、「互いに生かし生かされあう関係」として存在し、循環・調和して機能しています。別の言い方で言えば、「All for one, one for all. オール フォー ワン、 ワン フォー オール」、つまり、「すべて(全員)は一つ(一人)のために、一つ(一人)はすべて(全員)のために」という関係です。 要するに、それぞれの存在はバラバラではなく、また、「ちょっと関連がある」というような希薄な関係にあるのではなく、「私はあなた、あなたは私」「すべては私、私はすべて」とでもいう密接な関係になっています。その状態は「バラバラに分けることができない一体の関係」と言う意味で、「不可分一体」あるいはただ「一体」と表現するのが適切でしょう。

 

大宇宙

 人間の存在(いのち)が一つの不可分一体の小宇宙であるように、大宇宙そのものも不可分一体です。太陽の周りをいくつもの惑星が法則に従って規則的に整然と回っています。また、いくつかの惑星の周りにも月や衛星が整然と回っています。銀河系には私たちの太陽系のようなものが二〇〇〇億ぐらいあるそうです。

そして、現代のもっとも性能のいい望遠鏡で、銀河系レベルの星雲が10億個ぐらい見つかっているそうです。まさに我々の宇宙は大宇宙であり、無限、無数とでも言うべき星や惑星系、星雲、星間物質などからできています。それらがすべて、法則にしたがって、整然と循環し、調和しながら動いています。このように、大宇宙も法則に即して整然と運行する不可分一体の世界なのです。

 

ミクロの世界

 ミクロの世界も小宇宙と呼ばれます。いろいろな原子では、それぞれ大きさの違う原子核の周りをそれぞれ一定数の電子が法則に従って、乱れることなく飛び回って、一つの原子の働きを表します。そして、それぞれの原子核はいろいろな微粒子で構成されています。そして全体で調和しているのです。分子についても同じです。原子も分子も一体なのです。

 

大自然

 自然も同じです。そこにはいろいろな構成要素があります。空、雲、雨、太陽、月、雪、川、海、山、土、砂漠、草原、鉱物、植物、動物、微生物、など、すべての構成要素が関連しあい、循環し、全体として一つになっています。自然も調和した一体共生の世界なのです。

 

「調和した」という考えに対する異論もあります。例えば、ライオンが鹿を食べるのは弱肉強食の残酷な事実であり、地震や洪水などの自然災害を見れば、自然は調和しているとはとは言えないと言うのです。しかし、それは、人間の勝手な都合で物事をアタマで部分的に皮相的に見た相対的見方にすぎません。自然の実相も調和した共生世界なのです。

 

植物と動物

 もう少し詳しく自然について考えてみましょう。例えば、植物は空気中から吸収した二酸化炭素と根から吸い上げた水を光のエネルギーによって光合成をすることによって体の成分を作ります。同時に、植物は酸素を作り空気中に放出します。その植物を、例えば、鹿などの草食動物が食べます。それらの草食動物をライオンなどの肉食動物が食べます。

 

動物は呼吸によって、植物が放出した酸素を吸収し、同時に二酸化炭素を作り空気中に放出します。それを植物が光合成のために使います。動物の吸収した酸素は食べた食物の分解や消化、あるいは、活動のためのエネルギーを作るのに使われます。動物の体からの排泄物や、動物の死んだ体は微生物の食べ物として分解されて、結局は土や大気の中に分散されていきます。

 

土の中に分散していった成分は植物の養分となります。植物自体も枯れて死んだら、微生物に分解されて、再び土壌に戻り、次なる植物の養分になります。同時に、空気中にも成分が分散されていきます。空気中に分散されたいろいろの成分は、大気の循環によって、事実上、世界中を循環し、地球のあちこちで再び、土や植物や動物に吸収され、また別の循環経路に入っていきます。

 

水についても同じように、川、池、湖、海、雲、雨、雪などの間の循環だけでなく、植物や動物の体の成分となったり、またそれが体外に排泄されて、結局、川に入っていくなど、その循環は想像を絶するほど複雑な経路をたどります。

 

要するに、大自然も人体と同じで、それを構成する要素はいろいろなレベルのものが無数にあります。そして、そのすべてが「なくてはならない存在として」互いに補い合い、支えあい、循環し、調和して、大自然という一つの大きな生命が維持され、活動しているのです。このように、まさに、大自然は不可分一体の世界なのです。

 

不可分一体の相似象の世界

 このように観察してみると、この世の中にあるものは相似象的に作られているのではないでしょうか。「相似象」という言葉は聞き慣れない言葉かもしれませんが、簡単に言えば、「いろいろな現象のパターンが共通である」という意味です。

 

人体について説明したように、この世界にあるすべてのものは、それぞれのレベルでその構成要素のすべてが自然の法則、あるいは、宇宙の法則に従って、関連しあい、作用しあって、補い合い、協力し合って、循環しながら、全体として調和した一つの宇宙である、一段階上部の要素を形成しています。つまり、あるレベルの構成要素の一つ一つが一体となって、一段階上部の不可分一体の「一つのいのち」を生きていると言えるのではないでしょうか。そして、一段階上部の構成要素が集まり、同様にして、さらにもう一段階上部の構成要素を形成していっています。

 

動物や植物、あるいは微生物の生命の構成要素(世界)である、細胞、組織、器官、体全体、そして、自然、そして宇宙の姿を素直に見てみれば、そこに明らかに相似象が見て取れるのではないでしょうか。端的に言えば、元々、すべてはバラバラではなく不可分一体なのです。そして、人間あるいは人間社会以外のすべての存在は、法則に従って動き、循環し、関連しあって調和しているのです。

 

 

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2009年1月29日木曜日